強迫性障害の不潔恐怖で苦しむ人にとってお風呂の意味とは?

不潔恐怖で苦しみ人にとってお風呂とはどんな場所であり、そしてなにを意味しているのでしょうか?

不潔恐怖というと一般の人は手をずっと洗っているというイメージかもしれませんが実際はお風呂にずっと入っている、シャワーをずっと浴びている人も強迫性障害の不潔恐怖に該当します。

私も過去に8年間強迫性障害に苦しめられていました。不潔恐怖に苦しめられていました。

不潔恐怖を患うものにとって、お風呂はとてもリラックスできる場所ではありません。

「汚れを落とす場所」である

お風呂場
普通の人にとっても強迫性障害で苦しむ人にとってもお風呂場は汚れを落とす場所ですよね。

これはあまり差はありません。

しかし強迫性障害を患う人は汚れという言葉が示す範囲が普通の人と比べると異常に広いんです。

例えば手に触れるものや身体に付着するものすべてが汚れなんですよね。

例えば手になにかが触れて、それを洗い流すときは手だけを洗えば良いのですが腕までしっかりと洗い落とさないといけないのではないか?という囚われが浮かんで来ることによってそれを取り除くために時間をかけてしまうのですよね。

それが腕までで済めば良いのですが、手からのばい菌が身体全体になじんでしまうのではないか?

という不安に駆られることで一日に何度も入ってしまうこともあります。

癒しの空間ではない

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お風呂はゆっくりとすることできる場所で、湯船に浸かることで身体を温め、自律神経の副交感神経を優位にさせることができるので肉体的な疲れと精神的な疲れを癒すことができるでしょう。

リラックスできる癒しの空間のはずですが、強迫性障害の患者にとっては苦痛となる場合があります。しかし不潔恐怖で悩まされている人にとってお風呂は癒しの場所なんかではありません。

確かに一日に何度も入りますよ?

でも違うんです。言葉にすることは難しいのですが、辛い場所でもあるんですよね。

だって考えてみてください、1日に5、6回も入る人がいますかね?普通。

でもそうしないと気が済まさないというのと不安で不安で溜まらなくなってしまうのです。

シャワーを永遠と浴びてしまう・・・

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症状が悪化することで自分の身体にこびりついた「汚れを落とす」ために費やす時間が長く成ります。

お風呂はむしろリラックス空間ではなく、痛みや苦痛を感じる場所へと変貌します。あなたは何時間もシャワーの水を浴びたことはありますか?

想像してみてください、手や足の皮がふやけてしまい、よぼよぼになり出血さえみえるようになってもシャワーの水を止めることができない姿を・・・・

周囲から見ると変な人を通り越して、怖い人にもうつるでしょう。でも水を止めたときに襲って来る恐怖や不安に打ち勝てる勇気や意欲がなくなってしまうのですよね。

強迫性障害の不潔恐怖で悩まされる人によってお風呂は恐怖の場所で憎むべき場所でもあります。

強迫性障害の「強迫観念」が悪化すると、どんなにお風呂に入っても「汚れている」と思ってしまいます。

強迫観念を取り除くために、強迫行為をしてしまうわけです。

強迫性障害が長期化すると、余計に強迫観念が強くさせてしまいます。

症状がエスカレートする場合は

「⇨強迫性障害がドンドンとエスカレートしていませんか?

こちらの記事を参考にしてみてくださいね。

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